病院と裁判所と証言

2004年5月11日
今日友人Yと帰ってきてからひさびさにゆっくり話した。

どうやら旦那の調子がよくないらしい。本人があせりすぎって言うのが原因なんだけど。再び入院したらしい。これで倒れてから3回目だ。

焦る気持ちはわかる。痛いほどにわかるが・・。気持ちも本人の事までしか気が周らないのでYの気持ちをわかってあげれる余裕もないみたいだし。

なんだか変な法律だなぁ・・と思ったのが病院は絶対入院だ。と言ってても本人が「家に帰りたい」と言えば帰さないといけないらしいのですが・・・やはり奥さん、親族、病院としては残ってちゃんと治療を受けて欲しい。が、それを奥さんが裁判所に行って「証言」しなくては法律的には病院が彼を引き止める事ができないらしい。

しかも、「帰りたい」と子供のように駄々をこねている旦那はもちろん心の余裕がないためYに「証言するなら離婚する」まで言ってるし。

今まで自分の好き勝手に、感情をコントロール全くできなかった人だっただけに・・・こういうところに表にでてきてしまう。

それが原因で皆彼の周りには近づきたくない人が多いのに。

まぁ、Yも大変な立場にいるわけで。やっぱり何回も病院に担ぎ込まれるのはかなりの負担だと思う。精神的に。Yはちゃんと病院に残って治療して欲しい。が、本人があんなに嫌がっているのに本人の前で裁判所で証言するのはYにはできないらしい。

どうにか裁判官と話してそれを避ける事はできないか聞くと言っていた。

夕方、電話がかかってきて、どうやら裁判所がいろんなケースが多すぎて今日は中止になったようだが、Yの旦那は病院の精神科のカウンセラーの効果?と言うか・・・自分で「残って治療する」と今日のところは言ったそうだ。

Y言わく、「明日はどっちって言うかわかんないけどね。」

私はYの立場だったらどうだっただろうとずっと考えていた。子供がいるから頑張れる?のか・・。どんだけYも泣いた事だろう・・。そのときにそばにいていられなかったのがかなり悔しい。ま、かといって私には何が一体できたんだろう・・・。

Surprise!

2004年5月10日
無事に着きました。
いや〜、それにしても疲れた。(-_-;)

帰ってきてちょっと荷物を開けた後、バタンキューしてました。息子と。

2ヶ月ぶりの旦那・パパとの再会。メイはかなりうれしそうでした。

パパもも〜すっごくうれしかったらしく・・・。

んで!!

びっくり仰天したのが・・・旦那からのびっくりプレゼント!

何か家に着いたとたんに「僕の撮った写真見て」なんていうからなんでそんなにみせたがるのかと思っていたら!
なんと!!!

作っているのだよ。ベットの頭の上にあるボードをHEAD BOARDと言うのですが、その前から使っていたヤツをREMAKEしてくれてたんですねぇ〜。しかもこれがまたかっこいい!!

うれしかった〜。

後、母の日プレゼントも置いてあったし。

そういえば、全然今年は何もしませんでした。一緒にいたんだけど、も〜なんだか「感謝」が出てこなかった。
やっぱり私は一緒に住むとダメなんですねぇ・・。

前日

2004年5月9日
明日帰るよ。

かなり家に帰れるのは楽しみだが、飛行機がつらいぞ。

成田で5時間半待ちもつらいし。

はぁ〜・・・気が重い。

の上・・・・荷造りが・・・。(T.T)

カラオケ

2004年5月7日
楽しかったー。ひっさびさのカラオケ。

「歌う」事が大好きな私。けど、それを最近忘れてたなぁ。

子供用ソングばっかり歌ってて、好きな歌とか全然歌ってなかった。

カラオケ考えた人えらい!w もっと日本みたいなカラオケ屋さんがシアトルにも増えたらいいのになぁ。ストレス解消になりました。

最初はやっぱり自分の中では新しい歌(汗)ばっかり挑戦でしたが途中からは昔懐かしい歌ばかり。高校生の時によく歌っていた歌を歌いました。

Princes Princesの「パイロットになりたくて」。すっごく好き。けど、CD持ってないのはなぜ?w

昔なつかしの曲ばっかり歌っていて、けどよく考えたらCD持ってないのが多い。うーん。

さて、日本にいるのもあとわずか。旦那様に会いたいなー。

帰ってきて。

2004年5月5日
今日L君に会いに行って帰ってきたときにLの母親へ「行ってきたよー。」とメールを打とうと思ってPCをつけると、Yからメールが入っているのに気づき読んでまたびっくり。

また旦那さんが入院したとの事。

脳卒中ではなかったらしいが、やっぱりリハビリ中なのに無理してがんばりすぎた結果、どうやら混乱しているらしい。

若いし、もともと行動力があるというか・・・。喋るのも大好きな彼にとっては「話せない」「できない」と言う事はかなりの重りになっているのでしょう。

「落ち着いて」「ゆっくりね」と何回も声をかけても全然聞こえていない。聞こうとしているのかな?とも思ってしまう。

焦るのはわかる。けど、もっと周りにも心配しているYとかいるのだからもうちょっと落ち着いて欲しい。

私はどちらかというとYの方が心配だ。やっぱりYは私にとって親友以上の人だから。私はほんとうに姉のように思っている。

Y,もうすぐそっちに帰るからね。帰ったらすぐに会いに行くよ。だから一人でかかえこまんで身体を壊さないようにね。けど、Sちんもいるんだからがんばって。

L君

2004年5月5日
今日は友人の息子のLに会いに行った。

おじいちゃんに連れられて2ヶ月。こっちで母・父無しでがんばっている。いやー。ほんとうにすごいことだと思う。

かなりお兄ちゃんになってる様子がみれた。日本語もちょこちょこ出るようになってるのに、一言、一言聞くたびに私が感動してしまった。w

今日はメイもLと一緒に遊べて楽しかったみたいだ。

今日はもう結構長いこと会っていなかった従兄Aと奥Hさんと娘Sにも会って、メイは寝起きだったのでびっくりしていたみたいだ。

いやーほんと、娘Sをみると自分が歳をとったんだなぁ・・・と実感してしまうのがちょっと嫌だったが。w
いやーん。1000回の日記のカウンターをを自分で見るのがすっごく楽しみだったのに!

ちょっと出かけてて、今日帰ってきてみてみたら・・・。カウンターが「1001」だった・・・。涙

弟が東京に・・・

2004年5月1日
弟が今日東京に発った。

彼にとっては2度目の挑戦だ。一回目は半年弱で舞い戻ってきたみたいだけど・・・。

がんばってほしい。ただ、それだけ。

フェリーで2日かけて行くと言うので(うーん・・・粋というか・・やっぱり弟は変わったやつだ。)お弁当を(かなりたくさんの量)作ってあげた。私はやはり「手料理」=「愛情」ということしか表現できないので・・・。w

しっかり弁当食べてがんばれよー。

50

2004年4月29日
今日はおじの50歳の誕生日でみんなでおいわいしました。w

おじ・・と言っても私はいっつも「N兄ちゃん」と言ってますが、もう・・・50なのかぁ・・・。年はとるんですねぇ。やっぱり。

昨日は久々に我が弟君が一緒に焼き鳥にもついてきた?(←付き合いの悪い弟にただ、いっぱい人がいると言うのを黙っていた・・と、いう説はあるが・・・。w)ので、かなり楽しかった。

さて、その「お祝い」の前にメイ君を連れて初「海」に行きました。波にのまれそうに?なり前にズデェーっとこけてびしょぬれになったにもかかわらず、笑ってすっごく楽しそうでした。

やっぱり「水」で遊ぶの好きなんですねぇ。メイは。

6日にお友達が「潮干狩り」に連れてってくれるそうなので、楽しみです。メイ・・・かなり濡れまくるだろうなぁ・・。汗

また、海に連れてってあげたいなぁ・・・。シアトルの海は冷たいのでとてもじゃないけど、夏でも泳げません。w

ごめんなさい

2004年4月26日
大人気ない事しました。

メイ、ママほんとにごめんなさい。

いらいらがつのって約2ヶ月、爆発してしまいました。

どうしていいのかわからなくなって、内側からもう吐き出したくて・・・。

「あ”ぁぁああああ−!!!」って大声出して、怖がらせちゃったね。

メイがびっくりして泣き始めたのをみて、自分が何したかわかった。ほんとにごめん。

今の時点ママ失格。 やっぱり子供は「父親」「母親」が一緒に協力して育てないとすっごく大変だし、バランスもとりにくいだろう。

一人身で育てる。と言う母親、父親は世の中にはいっぱいいるのだろうが、私には無理だ。 まぁ、実際にやっているかたもいるのでしょうが、やっぱり子供にとって精神などのバランスはやっぱり親がそろってのものじゃないでしょうか。

改めてパパ(旦那)がすごいいいパパでよかったと思う。

「いらいらもわかるけど、一番先にメイの事を考えて。メイが一番の僕達の宝物なのだから・・・。」

一緒に過ごす時間

2004年4月25日
きっとそんなに一緒に過ごしたくないからだろうか。

母は「町民議会に行って来るけど、気分が悪いとか言ってすぐにもどってくる」と、言ってでかけたり、この前も「うん。今帰りだけどちょっとよらないかんとこあるけん、それ終わったらすぐ帰ってくる」・・・・・。全然帰ってこんやん。

あと、15日弱しかいないという事は全然母にとっては関係ないことなんでしょう。自分の初孫とちゃんと遊べる日はそうそうないのに。

もともと、仕事・仕事してるのはいつもだが、やっぱり私の両親はスキンシップに欠けると思う。だから、私もまぁ・・・家を出てもう丸9年になるが、やはり1週間半を超えると、親との関係がギクシャクしてくる。

よく考えなくても、私と私の弟は両親とまともに一緒にいたことがない。小さい頃から共働き、仕事・仕事で一緒にはいなかった。

保育園にいる時間の方が親と過ごすよりはるかに長かったし、こっちに引っ越してきてからも親よりも祖母と一緒にいる時間の方がはるかに長く、ましてや祖母と暮らし始めてからはほんとに親を見るのは週末あったかなぁ?くらいだ。

親と過ごした時間、覚えているのはドライブだけ。

いっつも車の中で弟と歌を歌ったり、しりとりをした時間だけは覚えているが・・・。

そんなに私は息が詰まるほどの存在なのか。

(↑あんまりに親が一緒にいないし、いても私に対してイライラしてるのがすぐわかるから。)と、よく10代の頃悩んで「死にたい」を連発して想像してたあの頃。

国外に出ようと思ったのもおもいっきり親から離れたとこに行きたかった。

出たのはよかったけど、結局は大学卒業して働けるまでは親にすがるしかなく、はやく「束縛」から逃れたくて必死に勉強してはやく働き始めた自分。

親とも丸2年ほど連絡が取ってないこともあった。

3年ぶりに会った親はすごくふけていた。

それからはやっぱりあまり長く会うことはなかったのであんまり考えなかった事。 だけどこうして長く里帰りなどをしていると考えてしまう。

親は私のことを愛してくれているのはわかってる。けど、やはり私はもうきっとアメリカ人なのだ。いや、もともとそうだったのかもしれない。(笑)だから私のロス出身の英語の先生はいっつもこういってたしなぁ。「あなたは他の日本人の人とは違うねぇ。絶対アメリカが好きになるよ。アメリカは君にあってる。」って。

ちゃんと表現してくれないと確信できなかったし、できない。私はちゃんと愛情は息子に表現してあげたい。これだけ愛してるのよ。愛してるわ。といっつも伝えている。

HugもKissもいっぱいする。もちろん怒ったりもするけどこれも愛情だと思う。

怒られてばっかりだときっと私みたいにぐじぐじこう日記に文句ばっかり書いてるような人になるかも。w

もともと、日本人は親子でHUGなんてしないし、Kissもしない。旦那のお父さんにいっつも帰るときに頬にKissされるのもてれるけど、うれしい。だから、最近の日本のパパをみかけ、子供にKISSやHUGをしてるのをみるとすっごくうれしい。

山の頂上

2004年4月24日
昨日朝からメイと父と散歩にでかけたのですが、公園でしばらく遊んでいると小さな(←と言ってもメイと同じとしかきっと年上なんだろうけど)女の子とそのおばあちゃんらしき人が車の(乗るやつ)おもちゃを持ってきていて・・・うーん。もちろんと言っていいほど・・メイ君は車大好きなので、その子の車に勝手にまたがってるしまつ。

その子はその時全然遊んでなかったので(車で)おばあちゃんが「いいよー遊んで」とは言ってくれたが、やっぱりメイが乗るとその女の子はやっぱり気に食わないらしく、いやーとばかりのジェスチャーを身体いっぱい使って・・・w 

メイ君にもちゃんとそれはわかってもらわなきゃいけないので教えようとはするが、難しい。やっぱりとりあいになっちゃう。どうやって教えたらいいんでしょうか。

んで、やっぱりそこから私達はどっかに移動しようと言う事になって、自転車でちょっと離れたところに丘?みたいな場所ができてて、そこの頂上に行くとすっごく気持ちがよかった。

そこで、父が「こま山」の頂上にお前言ったことなかろ?お昼にお弁当買って行こう。と、言う事になり、行きました。

車でずぅーっと頂上までいけるのがナイス。メイは車の中で寝ちゃったんだけど、降りると!すごぉーい!!霞がかかってて全部は見えなかったけどけど、その景色もよかった。

上から見下ろすってなんかかなり気持ちよかったなーと思い出した。なかなか最近は子育てに忙しくてそういう景色を見るのを忘れてた気が。

が、頂上はかなり寒く、ジャケットもなにも持たずに着てた私と父は「さっむぅー」を連発しながらお弁当を食べた。w

帰ると弟がおきてて、今日久しぶりに二人で飲みに行こうかーと、話していたが、父ひとりでメイをみてくれず、結局行かなかった。涙

夜なか

2004年4月22日
友人Kとチャットした夜は結構そのまま寝ずに、色々考えることが多いいなぁ。

今日も結局考えてて、また起きて日記かいてるし。w

けど、考えてた内容は書きたくないかな。w

↑ただ今まで「恋」してた人を思い出してたのだ。順にね。けど、途中であやふやになった。w 恥ずぅー。恋多き少女?だったのねぇー私って。

まー色んなことしたけどさぁー。やっぱり私は日本人男性には根本的にモテナイ。事がまぁー判明したというか・・・。w汗 興味を隠さず表にだすアメ人のほうがきっと性にあったのかなぁ。w まぁ、どっちにしろアメ人のほうがきっと私にあってるのかなぁ。w

動物園

2004年4月22日
今日は動物園に行きました。

メイはなんでも「わんわん」と言ってたけどね。
(ダチョウさん、熊さんごめんなさい)

未来の保母さん達が(←若い姉ちゃん)がいっぱいいて、メイ君はもてもてでした。w

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2004年4月21日
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食事用スモック作り

2004年4月20日
只今、今まで全く興味のなかった「裁縫」にはまって?おります。

従姉に来てもらって作り方を教えてもらいながらミシンで縫ってます。

はっきり言って、まじ初心者。涙

うーん。けど、もっと作ってあげれたらいいなぁ・・・。

今日も

2004年4月17日
今日も朝から公園に行ってきた。

昨日かなり暑かったので、早めにいったのにもかかわらず・・・暑かった。涙

昨日一緒に遊んだお友達も後から来た。

今ぐっすり昼寝中。(Timelyだなぁ・・。w)

いらいらいらいら

2004年4月16日
なんで、母をみると(会うと)いらいらするんだろう。

やっぱり私と母は一緒に住むとうまくやっていけないみたいだ。w

老後はやっぱりシアトルによぼうと今でも思っているが、大丈夫なのかなぁ?w 

父との方がなぜかうまくやっていけそうなのはなぜだ?w まーもともと父とはかなり仲良かったし。高校生のときとかでも平気で父を腕を組んで天神とか町とかあるいたりしてた事実は・・・高校の友達にあんた変!と、かなり言われたこともあった。

ま、普通は「父親」とベタベタする娘は日本にはいないらしい。w

私は結構色々なとこに父と行っていたけどね。

私は旦那とよく話をする。いろんなこと。寝る前に話しをずぅーっとしてあらあらこんな時間・・・ってなることは結構ある。

私達と私たちの親と考え方が違うこといっぱいあると思う。時代が違うというのもあるんだと思うけど。
私たちはお互いに嫌だとか不快に思ったことは結構すぐにお互いに言ってお互いにもうしないように気をつけている。じゃないと、一緒に暮らしている以上疲れてくるから。

里帰りしてから、結構父親は母の文句を、母親は父の文句をぶつぶつ私に言ってくる。w お互いにちゃんと話し合うことをもうしなくなっているんだろうなぁ。 ま、聞いてくれるのが結局私だけみたいなので、お互いにお互いの文句を娘にぶちぶち言っているわけですけど。 ま、疲れるわ。私も。 

子育ても、旦那はある程度手伝ってはくれる。ちょっと休みたいときとか、お風呂とか。 じーじとばーばは手伝ってくれそうで結局全然手伝ってはくれない。 

昨日お会いしたママさんは今埼玉から私の出身町へ私と同じく「里帰り中」らしいのですが、そのかたは「うーん、やっぱり実家だとらくだからゆっくり帰ってくるのよねー」と、言っていた。私は思わず正直に「実家の方がかえって疲れてる」と言ってしまった。

この↑差はなんなんだろう。 と、考えるとかなりさみしくなったりもするが、結局私がなぜ18才で海外へ逃げたもともとの原因はここだったからなんですけどね。 おちつける「家」じゃ、ないんですよ。きっと。

で、こう思ったわけです。今日。

私の最愛の子、メイや次に生まれてくる子が「はーほっとするぅ」といえる「実家」を作ってあげれたらいいな。

この場をかりてお詫び。メイ君、最近ママいらいらしてあたってたらごめんね。 メイのこと愛してるからね。

あづい

2004年4月16日
暑い!あつい!アツイ!!

今日は朝からメイと新しく出来た公園に行ってきたが・・・・・・・・・・・ あつい。まじあつかった。

滑り台からいろいろあって、かなり楽しかったみたいだが、一番のお気に入りは「砂場」・・・。涙

かなり、頭のうえからどばーっと何回も砂をかぶって遊んでました。

お友達がいっぱいいたねぇ。今日は男の子の同じ年くらいの子達ばっかで、かなり楽しかったみたい。

砂場セットをあわてて買いにいったちぇだーであった・・・。汗

せっかく

2004年4月13日
「せっかく帰ってきてるのに」

と、思うのはやっぱり自分が一番「離れてる」って言うことを実感してるのか?それとも、ただ単に寂しがりやなのか?w

2ヶ月里帰りと言ってももう後残す半月となりました。旦那に会えなくてさみしいけど、やっぱりこっちにいる間に友達ともっと会いたい!とは思うけど、同じように専業主婦している友達0zero。w みんな忙しくて相手してくれない。w ま、しょうがないんだけどなぁー。

こうやって考えてみると、私が忙しかった時代、こうやって「なんで連絡してくれないんだろうなー」って私の事を思ってた人もいるんだろうなぁ。w

連絡してー。で、結局は帰ってきた私が「連絡」しないとみんな何にも言ってきてくれないしぃ。w ま、皆さん忙しいからね。わかる、わかってるけどちょっとさみしいなぁ。

ほんとに、あと一人産んだらもーいっときは帰ってこないからなぁ。シアトルの友人Yなんてもー3・4年帰国してないし。子供2人連れて帰るの不可能。と、彼女は言う。

ま、ほんとに次に帰ってこれるのはたぶんもーメイ君もだいぶん大きくなってからだろうなぁ。その頃には子供がいる友達は増えるのだろうか。そうなったらそうなったで、もっと忙しくて結局会ってくれないだろうなぁ。なんかさみしー。

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